らしくもなく、そわそわと落ち着かない気分で大迫は隣を歩く相手へと視線を向けた。自分よりほんの少しだけ身長が低いとはいえ、目線はほぼ同じだ。けれど今は目線や身長などは関係なく、注目するべきポイントは自分と彼女との関係性にある。
先日まで彼女――小波美奈子は、自分が教鞭を取るはばたき高校の教え子だった。しかも初めて担任を持った生徒の一人で、さらに言えば三年もの間彼女の担任として過ごしてきたのだ。先生と呼ばれ続けた三年間の間、自分は彼女を一人の生徒として接してきた。美奈子に特別な感情を抱いているのを自覚したあとも悟られるぬよう、一教師としての態度を貫き通した。
それがまさか、卒業式の日に彼女から告白を受けたときは驚いた。相思相愛になれるだなんて夢にも思っていなかったから、あのときは照れ隠しに「先生の胸に飛び込んで来ォい!」と言ったものだが、その言葉の通りに飛び込んできてくれた彼女の身体を抱きとめて、ああ、本当に美奈子は自分を選んでくれたのかと実感したものだ。
それがつい先月の話なので、「恋人同士」として付き合う期間よりも「先生と生徒」として接した時間の方が長いのは仕方ない。故に、彼女が自分を呼ぶときに「先生」と思わず呼んでしまうのも仕方ない。大迫こそそちらの呼び方に慣れてしまっているし、そもそも美奈子のことも「小波」と呼んでしまうほどだ。けれど、いつも、いつだって「小波」と呼んだあとにしまったと心の中で歯噛みしているのだ。「美奈子」と名前で呼びたくて、相手にも「力」と呼んで欲しくて。けれどその提案をどのタイミングで提示すべきか、大迫は悩んでしまう。らしくないと我ながら情けなく思うが、やはり教師と生徒としての期間が長さが物語ってしまっている。
つと、隣を歩く美奈子がこちらを見た。考え事をしていただけに突然彼女と目が合ったような形になってしまい、どきっと心臓が強く鼓動を打つ。
「そういえば先生、わたし、観たい映画があるんですけど」
「映画?」
「はい! ……えっと、その」
「どうした?」
「あの、ですね? 今日はカップルデーとか、らしくて……その、だから、あの、カップルだと半額なので」
「カップル」
彼女の言葉の中の単語だけを問い返せば、美奈子はますます顔を赤くして俯いてしまう。あのとそのとえっとを繰り返している様はかわいらしくて、ああ、やっぱりもう生徒ではないんだとじわじわと大迫は実感する。
「そうだな。……小波」
「はいっ」
「カップルデーっていうことは、俺とおまえは間違いなくカップルだ」
「はいっ」
「そこで、提案がある」
「はいっ」
「美奈子」
「はいっ。…………はい?」
「ほら、今度はおまえの番だ」
「え」
「カップルなんだから、名前で呼ぶべきだと思うんだが」
目を白黒させている美奈子にそう提案して見れば、相手はさらに目をぱちぱちと瞬く。そうして今度はこれ以上ないくらい顔を赤くさせて、視線を足元へと落とした。ちらっと大迫へ伺い見たあと、再び足元へと視線を落とす。あの、とか細い声が聞こえて、大迫は美奈子の指先をちょいと握った。ぴくっと彼女の手が震えて、もう一度「あの」が繰り返される。
「…………ち」
「うん」
「か、ら…さん」
「もう一度、今度は繋げて言ってみろぉ」
「あ、……ちから、さん」
「今度はもう少し大きな声で」
「や、あの、その」
「ほら、頑張れ美奈子」
「ちょ、ちょっと待ってください! え、映画見たあとくらいなら頑張れると思うので!」
「映画を見るためにはちゃんとカップルにならないとだめだ」
「えええええええ!」
素っ頓狂な声を上げて本当に困った顔をする美奈子に思わず吹き出してしまえば、ひどい! と抗議の声が上がった。すまんすまんと謝りながら、彼女の頭を優しく撫でる。さらさらと心地よい髪質を手のひらに感じると、「力さんのばか」と弱弱しい抗議の声が聞こえてきて。
その何とも言えない反則的な声音と彼女の表情を目の当たりにした大迫は、美奈子に負けず劣らず顔を真っ赤に染める結果となった。
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小話リク:大迫ちゃんで卒業後の先生呼びについてあれこれでした!ありがとうございました!
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