「なあ」
「はい?」
こちらの呼びかけに振り返った彼女は、ちょうど洗い物が終わったところだった。だからこそ話掛けたのだが、美菜子は濡れた手を拭きながらカウンターに座る魁斗の元へとやってきた。
「料理って、楽しい?」
ずばり、前振りもなく直球で尋ねる。突然にことに「え?」と美菜子は首を傾げるも、魁斗の言葉を考えるように首を捻ると、うん、と頷いて口を開いた。
「まあ、楽しいっていうのもあるけど、わたしにはこれしかないから」
「そんなことないだろ」
「そんなことあるよー。生きていくためには、わたしにはこれしかないから。だから、「おいしい」って言ってくれるお客さんの言葉はすごく嬉しいし、救われるよ。がんばろうって思えるもの」
「ふーん」
にこにこと恥ずかしい言葉をすらすらと言う美菜子に、魁斗はほんの少しだけ失敗したと悔やんだ。こいつにそんな質問をしたら、真っ向からそう回答されているのは目に見えていたはずなのに、こうして本人の口から直接聞くのは想像より破壊力があった。
魁斗は自分から振った話題なだけに、これ以上なんて続けていいのかわからず、誤魔化すように食後のコーヒーを舐めた。相変わらず苦手な飲み物ではあるけれど、他で飲むよりは飲みやすいと最近思うようになったのも、目の前の彼女の努力の賜物なのだろうか。以前、辛いから苦手なカレーも自分のためにと一生懸命食べれるようにしてくれたことを思い出して、ほんのりと頬に熱が差した。
そんなこちらの心境を知ってか知らずか、美菜子はなおも話を続ける。この間のお客さんがねと聞かせてくれるのはちょうど彼以外に客の姿がなく、気にする必要もないからだろう。
「魁斗くんのアイドルのお仕事だって、ファンの皆に喜んでもらえたらうれしいじゃない?」
ぐっとカウンターから身を乗り出して、美菜子は言う。近くなった距離に少しだけ動揺して、しかし表に出さないように視線を逸らす。まあなと返してやれば、彼女の言葉は続いていく。
「お仕事を頑張れる根本は、皆同じなんじゃないかな」
「……まあな」
二度目の同じ言葉にも、彼女は特に気にした風でもなくにこにこと笑っている。そんな無邪気な美菜子の笑みに少しだけ心臓の鼓動が速くなって、ほんの少しだけ、背中を押された気がした。
そうして魁斗が食べ終わって空になったお皿を下げていく彼女の背中へと、なあ、と声を掛けた。
「はい?」
「うまかった。ご馳走様」
「ふふ、ありがとうございます」
「俺さ」
「ん?」
「本当に、おまえの料理が好きだよ」
「ありがとう。すごく嬉しい。もっと魁斗くんが喜んでくれるような、おいしいご飯作るから」
そう彼女が言うと、カランコロンとドアベルが鳴り響いた。いらっしゃいませと明るく彼女は来客を迎えて、二人組のサラリーマンを奥の席へと案内していく。
まるで一人取り残されたようにカウンターに座りながら、魁斗は短く息を吐き出した。
いつか、彼女の作る料理が俺だけのために作られればいいなんて、そんな我儘を言い出しそうな想いをコーヒーで飲み込んだ。苦い。
[2回]
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