※風邪ひき主を心配する清光と安定
襖を一枚隔てた向こう側から、ちいさく咳き込む声が聞こえる。それを聞くたび、清光の心臓はぎゅっと締め付けられるように痛んだ。思わず右手を胸の上に置くと、着物の合わせ目をぎゅっと掴む。前の主も病を患い始めては咳が止まらなかった。隠れるように、隠すようにひっそりひっそりと苦しげに咳を繰り返していたのを思い出す。そうして刀だったときより、人の形になった今の方がより自分の不甲斐なさを痛感する。何かしたいのに、何もできない。前の主のことが過ってそばに行くことすらできない。臆病者と自身を呪うことしかできず、こうして襖の前に座り込むことが精一杯だ。
すると、唐突に自分の前に影が落ちた。
顔を上げて影の正体を確認すれば、そこには表情の読み取れない安定が佇んでいた。けれど清光には十分すぎるほど彼の身上がわかってしまい、ぐしゃりと顔を歪めてしまえば、同じタイミングで安定も同じように表情を崩す。
「何してるの」
「そっちこそ」
互いにそっけない言葉を交わして、黙る。すとんと安定が隣に腰を下ろしたかと思えば、膝を抱えて表情を隠してしまう。
「清光」
「なに」
「ただの風邪なんだろう」
「うん」
「大丈夫なんだろう」
「そう聞いてる」
「そっか」
「うん」
不安を解消したいはずなのに、言葉を交わせば交わすほど、不安になっていく。大丈夫と繰り返すほど、増えていく暗い黒い感情から目を逸らすように、清光も膝を抱えて顔を伏せる。
と、からりと軽い音を立てて襖が開いて、二人は同時に顔を上げた。その視線の先にはメガネを白衣姿の薬研がいて、こちらの姿を見つけた彼は驚いたように「うおっ?」とちいさく声を上げた。
「薬研、どうしたの?」
すると、部屋の奥から控えな声が聞こえた。
薬研は清光と安貞から声の方へ視線を動かし、にっと口の端を揚げて笑う。
「見舞いの客が来てるぜ、大将」
言って、二人が壁にしていた襖が薬研の手によって開かれる。
え、と完全に虚を突かれていると、部屋の主である彼女も同じようにきょとんとした顔をしていた。
寝間着姿の彼女と、清光安定は枢要見つめ合ったあと、先に表情を崩したのは主たる彼女の方だった。
眉を八の字に下げて、困ったように笑う。
「不甲斐ない主でごめん」
「「そんなこと!」」
同時に同じ言葉を言いかけて、やはり同じように立ち上がりかけた二人は同じタイミングで動きを止めた。そのままどうしていいかわからずにいれば、「少しだけな」と薬研は言い残して去っていく。
「……あいつ、本当に短刀かな」
「僕もそう思う」
清光と安定は薬研の後ろ姿を見送ったあと、ようやく立ち上がることに成功した。
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