熱海に到着してすぐに駅前のロータリーでタクシーを捕まえると、二人は荷物を降ろすべく宿泊予定の旅館へと向かった。
「わあ」
旅館の手前でタクシーを降りたあかりは、外観を眺めて眼を輝かせる。昨今の流行りのおしゃれな旅館ではなく、どこか懐かしい雰囲気を漂わせる旅館だった。子供の頃の家族旅行で訪れたそれに似た佇まいに、あかりのテンションはうなぎ登りだ。思わず小走りで入口まで向かうと、すかさず背後からは「転ぶぞ」なんて、それこそ昔の父親のような忠告が飛んできた。
あかりは入口の手前で立ち止まり、少し遅れてやってくる瑛を待つ。そうして二人揃って入口をくぐれば、いらっしゃいませと着物姿の女性に出迎えられる。
「ええと、今日と明日の一泊二日で予約した佐伯ですが」
「佐伯様ですね。…はい、お部屋のご用意が出来ております」
「荷物だけ預かっていただけますか? 部屋には観光から戻ってきてからで」
「畏まりました。では、お荷物をお預かりします」
「お願いします。ほら、あかりも」
「あ、うん。お願いします」
つと、瑛の視線がこちらに向けられて、あかりはハッと我に返った。旅行用の大きなカバンを渡したあとは、笑顔の従業員の方たちに見送られて再び熱海の街へと戻る。さきほどはタクシーを使ったが、駅から旅館までの距離がそこまで離れていないのがわかったのと、せっかくだからと歩いて散策することにした。
「海だね、瑛くん」
「はばたき市にも海くらいあるだろ」
「そうだけど。はばたき市とはまた違うっていうか」
むっと抗議の視線を送れば、はいはいといつものように流す瑛。それでも瑛の視線は海へと向けられ、5月でもサーフィンも楽しむ人たちをどこか羨ましげに見つめていた。
「……天邪鬼」
「何か言ったか?」
「おなか空いたなって言いました」
「おまえな」
あっさりと自分の言葉を撤回してチョップの制裁を逃れてみれば、予想通り瑛は呆れたような仕草を見せた。けれどチョップを繰り出すと予想していた手はそれを裏切り、代わりにこちらの手を握ってきた。つまり、手を繋いでいる状態になる。
「……瑛くん?」
「なに?」
「いや、別に、なんでも」
「嫌なら離すけど」
「い、いやじゃない! 全然! 全然いやじゃない!」
「よし」
なんて、なぜか瑛の方が偉そうにしたあと、それが照れ隠しなのだと察してしまった。ら、よりその照れは隠されずにあかりにも伝染する。
休日に二人、手を繋いで歩くなんて何度もしてきたことで。けれど今日はそれがひどく新鮮な気持ちになるのは、旅行という気持ちの高揚が大きく作用してるいるのだろうか。
「…お昼、何食べようか」
あかりはようやくそれだけを言うと、そうだなと瑛が返す。そのあとはまた黙り込んでしまって、けれどその沈黙が嫌なわけではなく。
きゅっと瑛の手を握れば、瑛も同じように握り返してくれた。
「ねえ、瑛くん。恋人たちの聖地だって!」
「……」
お昼を済ませて腹が満たされたからか、あかりはテンション高く観光名所を回り始めた。
瑛もあかりも熱海には来たことがないということで、ならばオーソドックスな観光地を回ろうということに決定したのだ。事前にいくつか候補をあげてはいたのだが、地理的なものを改めて調べてみれば、駅から二人の宿泊する旅館の間に有名所が集まっていたのと、唯一一番離れている伊豆山神社だけは明日に行くことで話は纏まった。――のだが。
「てーるくーん!」
にこにことあかりが機嫌よく手招きするものの、瑛はある一定の場所からこっち、距離を詰めてこない。渋い顔であかりを見つめて、ジーンズのポケットに手を突っ込んでいる。そして、
「……次に移動しないか」
「今来たばっかりでしょ。ほら、観念して」
カムカムと手招きをすれば、ようやく瑛は諦めたように保っていた距離を詰めてきた。けれどもそわそわと落ち着かなげに周囲を伺ったあと、「恋人の聖地」とはっきり表記されたプレートからさっと目を背けた。
「ねえ、瑛くん。この手形って二人で使うんだよね? 恋人って書いてあるし」
プレートの上に設置された大きさの違う手形を指して、あかりは問う。すると瑛はちらりと一瞬だけ視線を寄越したあと、再び明後日の方向へ逸らして「そうじゃないのか」とだけ返してきた。
「でも、これって普通に置いたら背中合わせになっちゃうよね? 変じゃない?」
手形の大きさからいって、女性は右手を男性は左手を置くように作られていた。あかりはうーんと考え込むと、痺れを切らした瑛が思わず、というように呟いた。
「向かい合って、手を交差させるんじゃないのか?」
「…あ!」
「やらないからな」
あかりの考えを先読みしてか、すぐさま却下が下る。
「えー」と無駄な抵抗をしてみるも、「やらないからな」ともう一度念を押されてしまったのでこれ以上はチョップを覚悟しなければいけない。今日明日と一緒にいるのだから、できるだけチョップは回避したい。あかりとしては次の場所へ移動することでこの場を収めた。
そうして次に向かったのは熱海城。ロープウェイを使って昇り、はばたき城とはまた違った趣の場内を堪能した。天守閣には「愛の岬」なるものがあって、想像していたよりも熱海という場所は恋人向けのスポットが多い。当然のようにここでも瑛は居ずらそうに視線を彷徨わせていたけれど。
けれど熱海城を後にし、帰りのロープウェイの乗り場ではさすがのあかりも気まずさに固まってしまった。熱海と言えば秘宝館という建物が有名で、なんとなくその存在は知ってはいたがまさか出入り口であからさまな男女関係の象徴たるものがでんと鎮座しているとは思いもよらなかったのだ。一瞬何かわからず、けれどそれが「ナニ」かだと理解して瑛を振り返ることなど出来ず、されど妙に早足になることもできず。そしてそれは瑛も同じで、帰りのロープウェイは不自然に口を閉ざしてしまった。
しかし今となればこれがフラグだったのかと、あかりは思い知らされることになる。
[3回]
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