柔道部をアピールするために文化祭のイベントで行った百人掛け。言い出した本人で主催者でもある不二山本人は、「せいぜい二十人程度で限界だろ」と言っていたが、実際はその十人を超えた三十人を相手にする結果に終わった。
美奈子も柔道に携わって半年足らずではるが、その結果が十分過ぎるほどにすごいのは理解できた。けれど、不二山は三十人という結果に「しょうがない」と言いつつも、どこか悔しさを拭いきれない表情をしているのが気になった。
「嵐くん?」
すっかり空は夕暮れのオレンジ色に染まった時間帯。
文化祭は終わり、校舎の中ではまだまだ片づけに残っている生徒たちの声が響いていた。各ゆう美奈子もまた、クラスの出し物であった喫茶店の片づけが一段落したのもあって、このプレハブ小屋に足を運んだのだ。
カララ、と軽い音を立ててスライド式のドアを引くと、部屋の真ん中で正座をしている不二山の姿があった。美奈子には背中を見せるようにして座っていたため、彼の背中に向けて声を掛ける。すると、彼女が声を掛けるのと同じタイミングで不二山が振り返った。
押忍、といつものように言って、不二山は立ち上がった。部屋の隅に置いておいたカバンまで歩み寄り、その大きなスポーツバッグを肩に掛ける。
「クラスの方、悪いな」
「ううん、だって嵐くんは百人掛けの片づけ、殆ど一人でやったんでしょ?」
「まあ、言い出したのは俺だし」
不二山は改めて室内へと振り返り、苦笑を浮かべて見せた。
「なんかさ、まだまだだよな。俺」
「え?」
「こんな立派なプレハブ小屋を作ってもらったっていうのに、たった三十人くらいで根を上げちまうなんてさ」
「そんな」
「言うな」
慌ててフォローしようとする美奈子の言葉を、不二山は素早く制した。静かだかだが強いその声に、美奈子は言葉を飲み込んだ。代わりに相手を見つめれば、先ほどよりも困ったように笑ったあと、彼は眉根を寄せて難しい表情になった。
「今は俺を甘やかすことを言ったら、ダメだ」
「そういうつもりじゃ」
「わかってる。でも、俺が勝手に甘えそうになるから、おまえに」
だから悪いなと続けて、不二山はポンと美奈子の頭の上に手を置いた。その手はすぐに離れていくと、「帰ろう」と促す。美奈子は、うん、と一つ頷くと、彼のあとに続くようにプレハブ小屋を出た。大迫から預かっていた鍵でしっかり戸締りをして振り返れば、先ほどよりもオレンジの色合いが濃くなった空を見上げて目を細める不二山の隣に並ぶ。
「…うっし」
気合いを入れるように呟いてこちらを見たその顔は、いつもの彼に戻っていた。しかし、いつもの不二山の表情であるはずなのに、美奈子の心臓はふいに、どき、と大きく鼓動を打った。あれ? と思って思わず胸元を抑える。するといつもよりほんの少しだけ早い鼓動が手のひらに伝わり、ますます動揺している自分に気が付いた。
「どうした?」
ひょいと美奈子を覗きこむようにして顔を近づける不二山に、思わず後ずさりしてしまう。
「な、なんでも!」
「そうか?」
不思議そうに小首をかしげる不二山は、すっかりいつもの彼のペースに戻っていた。美奈子はそんな彼の隣より気持ち後ろを歩いて、そっと息を吐き出した。もう一度胸元に手を当てるも、鼓動は落ち着いた一定のリズムを刻んでいる。そのことに今度は安堵の息を吐くも、難しい表情になるのは美奈子の番であった。
「おい、置いてくぞ」
「あ、待って!」
いつの間にか数歩先を歩く不二山が振り返り、声を掛けてきた。それにはっと我に返り、慌てて彼の後を追う。
自覚し始めた恋心は、また当分無自覚に消えていった。
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