駅からは少し遠いが、部屋は1Kの間取りで風呂トイレが別の二階建て二階の角部屋。近くには深夜まで営業しているスーパーがあるということで、彼はここに入居を決めたらしい。
すっかり引っ越しが終わった部屋を見渡して、あかりは物珍しさにきょろきょろと部屋を見渡した。引っ越したばかりなのでまだまだ物は少ない印象だが、それでもそこここに「瑛」の気配が見え隠れして、それがなんだか妙にうれしいやら恥ずかしいやらだ。
座っとけと言われてとりあえず腰をおろしてみたものの、そわそわ感は増すばかりで落ち着かない。あかりは無意味に敷かれたラグをしばらく撫でたあと、最終的にクッションを抱えて顔を埋めた。ら、「何してんだ」と呆れ顔の瑛が、コーヒーを淹れたマグカップを両手に持って現れた。
「ほら、熱いぞ」
「あ、りがとう」
言って、あかりは一人暮らし用の小さなテーブルの上に置かれた二人分のマグカップの一つへと、手を伸ばす。コーヒー特有の香ばしい香りにようやくほっとしたように息を吐いて、一口啜る。そうして、彼が淹れたコーヒーを飲むのが随分久しぶりなことに気づいてしまい、そうなると嫌でも去年の珊瑚礁での出来事を思い出してしまう。それからここ数カ月のことを反芻し、そうだ、と今さらのように瑛との関係が変わったことを思い出す。友達から恋人になって、まだ一カ月も経っていない。だから余計に意識は薄いくせに、気づいたときの恥ずかしさはたまらない。
(彼氏…)
内心で、あかりは独りごちる。彼氏。恋人。その単語をそれぞれ呟いて、ちらっと瑛を伺い見る。相手は素知らぬ顔でコーヒーを啜り、適当に流しているテレビへと視線を向けていた。あかりは彼の横顔を眺めながら、ふいに視線が開いての口元で止まる。どき、と心臓が高く鳴って、ぱっと故意的に目を逸らした。マグカップの中にあるコーヒーを見つめ、くるくると回る液体が自分の心と連動してるみたいだ。
彼の唇とキスをしたのは、卒業式の日だ。瑛と互いの想いを告白して、恋人となって初めてした、キス。
それから瑛の引っ越しなどもあり、中々二人での時間が取れずにいた。
メールや電話はしていたけれど、こうして二人きりになったのは本当に久しぶりで。
そのことに気がついて、あかりは忘れかけていた緊張が再びやってくるのを感じた。どうしよう、と胸中で呟いて、でもその実、期待もしていた。しかし「キスがしたい」なんて思っているのがバレたら、呆れられるだろうかという不安も同時に湧き上がり、またもぐるぐるとした葛藤が始まる。すると、とん、と頭に痛くないチョップが落とされた。俯いていた視線を持ち上げれば、やっぱり呆れ顔のままの瑛と目が合う。
「なんて顔してんだよ」
指摘されて、あかりは自分の顔に触れようとする。すると、瑛も同じようにこちらへと手を伸ばしてきた。
指先が頬を撫でて、ぐっと彼の顔が近づく。ふいにテレビの音が聞こえて、その現実感に心臓の鼓動が速まる。
「て、るくん」
「あかり」
ぐっと距離が詰まり、思わず息を止める。と、ふっと目を細めて瑛が笑う。その笑みで、すとん、とあかりの中の緊張が不思議と落ち着いた。
そして――。
[3回]
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