卒業式の時にすでに話は聞かされていたから、覚悟はできていた。――つもりだった。
「本当に留学するんですね」
「今まで何だと思ってたんだ、おまえは」
「いや、ちゃんとわかってましたよ?」
「どうだか」
海外用のしっかりとした作りのスーツケースを押す手を止めて、設楽は軽く肩を竦めてみせた。ついでにため息なんか吐かれてしまい、美奈子はぐっと言葉に詰まる。否、本当に設楽が留学するということはわかっていたし、行き先もパリで、日本に戻ってくるのはいつになるかわからない等々、聞かされたことはすべてきちんと覚えていた。
ただ、単純に実感がなかったのだ。高校を卒業して付き合いだしたといっても、設楽の皮肉っぷりは健在だし、他愛もない言い合いも日常茶飯事だ。けれどここぞというときの彼の紳士ぶりは絶大で、美奈子がさみしいなどと言った日には文字通り飛んでくるほどだ。初めてそれをされて以来、美奈子は迂闊なことは言うまいと心に誓ったものだが、今回はその誓いが破られそうだ。
そうして、たとえ美奈子がその誓いを破ったところで、今度はさすがの彼もすぐには飛んで来られない距離にいる。
「美奈子」
「は、はい?」
「おまえ、今からでもパスポート持ってこい」
ぞんざいな言い方ではあるが、設楽に美奈子の考えていることがお見通しなのだ。美奈子もそれがわかって、思わず困ったように顔を顰めた。実際本当に困っているのだが、ここで設楽の言葉に甘えるわけにはいかない。
だって、パリに向かう設楽と美奈子では、心構えが違う。
夢を追う設楽と違って、美奈子にあるは単純に「さみしい」という気持ちだけだ。他に目的もなく、その感情を慰めるためにパリに行ったととしても、結局は堂々巡りだ。夢に向かっている設楽の隣には、いられない。
「ごめんなさい」
「…たく、おまえは本当に強情だな」
「嫌いになります?」
「それぐらいで嫌いになるなら、初めから好きにならない」
ばっさりと切り捨てるような言い方のくせに、内容はそれに反しているのがずるい。
美奈子はますます自分の気持ちが情けなく萎んでいくのを実感して、強く下唇を噛んだ。
「…意地っ張り」
ぼそりと、設楽はいうと、ぽんと皆kおの頭に手を置いた。
「今年中に一回くらいは顔を見せに来い」
「先輩も、一回くらいは帰ってきてください」
「ああ、だから、いつまでもそんな顔するな。無理やりパリに連れていくぞ」
「誘拐じゃないですか!」
「そうだ。俺を犯罪者にしたくなかったら、笑っとけ」
「いたっ」
ぺし、と強めに指が額を弾く。美奈子はとっさに両手で額を多い、じと目で設楽を睨んだ。けれどすぐに彼へと手を伸ばし、思いきり抱き着いてやる。
「お、おい!」
「動かないでください。充電するんですから」
「……好きにしろ」
「はい、好きにします」
盛大なため息を吐くものの、美奈子の髪を撫でる手はどこまでも優しい。
(……あと少し)
美奈子は自分の中でカウントダウンを数えて、ゼロになったら笑って「いってらっしゃい」を言おうと決めた。
[2回]
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