きっと皆同じことを考えたと思うんですがやっぱり居ても経ってもいられなくなったので書き散らかしでござるの巻。
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弱い自分が嫌いだった。
小ささはまるでその象徴のようで、はやく大きく、大人になって、兄と肩を並べたかった。
その甲斐あってか、今では兄よりも大きく成長できた。身体も大きくなって、生きるための術を身につけてきたというのに、心は子供の頃よりさらに暗く沈む時がある。
それは年齢よりも身長が伸びなかった兄に対しての罪悪感。
子供の頃には気づかなかった、兄の優しさを今さら痛感してしまったから。
つらい幼少期によく兄が自身の夕飯を分けてくれたとき、何も考えずに素直に喜んでいた自分が憎らしい。
余るはずなんてないのに。
お腹がいっぱいになるはずなんてないのに。
いつも、いつだって空腹で、寒くて、寂しくて。
兄と二人、寄り添うように生きてきたのにどうして気付かなかったのか。子供の無知と、浅はかさに腹が立って仕方ない。
それでも兄はいつものように「気にするな」と言って笑うのだ。どんなに辛くても苦しくても、兄はそうやって笑ってきた。大丈夫だから、源三郎は心配するな。兄ちゃんに任せとけと。しかし屈託なく笑う兄に、いつしか素直に従うことが出来なくなった。それはちょうど、彼の身長をほんの少し追い越した頃だ。それくらいになってようやく気付いた自分自身のまぬけさにも相当呆れもしたのだが。
だから源三郎は、音子が気に食わない。
無邪気に笑う表情は兄のようで、けれど弱い姿は子供の頃の自分のようで。
痛いところを突き付けられているような彼女を見ると、イライラしてしまう。
そんな彼女が兄と楽しそうに笑い合う姿は、さらに源三郎の神経に触った。
イライラとぐるぐるした感情が交互に渦を巻いて、けれど時折、ひどく悲しくなる。
まるで無力な子供の頃を彷彿とさせれしまい、音子への気持ちはさらに下降の一途を辿る。――と、そこまで考えて、違う、と源三郎は心の中で否定した。本当は認めたくなんかないけれど、悪いのは音子ではない。音子への感情は言わば「憧れ」だ。あんな風に素直に「ありがとう」と笑うことが、自分にはできないから。それを苦もなくできしまう音子のような、兄のような人間が本当は羨ましくて仕方ない。
けれどもう、軌道修正ができないほど自身がひねくれてしまっているのも自覚している。ならばもう、自分に出来ることはこのひねくれた性分と向き合って開き直って、わかりずらいと言われるままの性格で彼女と接していくしかないのだ。
音子の笑顔に慣れるまでこっちが大人になってやるしかないと、やっぱり源三郎はひねくれた考えでもって一人、ため息を吐いた。
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