もうバレンタインなんてとっくに終わったというのにバレンタイン小話。しかもモバマス。あまつ黒川。
イベントに乗っかりきらないことに定評のある私です。
黒川かわいいよ黒川
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バレンタインに使われる大義名分はいくらでもある。
ショッピングモールに特設会場として設置されているバレンタインコーナーにて、安さが売りのかわいらしいものから有名ショコラティエが手掛けたブランドもののチョコレートたちを選別しながら、黒川千秋は目に付いた包装されたチョコレートを手に取った。
彼女が渡そうと考えている相手は、自分が所属している事務所のプロデューサーだ。いつもお世話になっていますと、社交辞令と人間関係円滑のためにチョコレートを贈るのはもはや恒例行事となっている。バレンタインに託けたお菓子会社の陰謀はすでに多岐に渡って様々な変化を遂げており、たかだか自分一人のチョコレートの存在が相手に大きな影響を及ぼすとは思えなかった。
(問題なのは)
胸中で独りごちて、黒川はため息をつく。何が問題がなのか、そんなことはとっくにわかりきっている。チョコレートの値段も大きさも装丁も関係なく、一番重要なのは、そのチョコレートに込められた意味だ。
けれど、
(好き、なんて)
言えるはずがない。
彼が自分を大事にしてくれるのは、プロダクションに所属しているアイドルの一人に過ぎないから。そうして黒川自身も所属しているアイドルたちを分け隔てなく大事に、大切に接してくれる彼だからこそ、好きになった。
そうしてこの感情が、彼を困られせるだけになるのは目に見えているから、自己満足で彼への気持ちを誤魔化すためにバレンタインというイベントを利用しようとしているのだ。
それにきっと、自分以外の事務所の皆は彼にチョコレートを渡すに決まっている。それなら沢山用意されたチョコレートの中に隠された自分の本命の気持ちは、紛れて伝わることはない。
それでいいと黒川は諦めたように自身へと言い聞かせ、最初に手にしたチョコレートをレジに持っていった。平日の真昼間という時間のせいか、会計はスムーズに終わらせることができた。かわいらしいラッピングにかわいらしいショップバッグを片手に、黒川はそのまま事務所へと向かおうとしたところで、ふいに携帯電話が着信を告げた。コートのポケットで震えるそれを取り出しみれば、ディスプレイにはプロデューサーである彼の名前が表示されている。え、と我が目を疑いつつも、平静を保つように通話ボタンを押す。
「…もしもし?」
『ああ、黒川。今どこにいる?』
「事務所の近くのショッピングモールだけど」
『よかった、やっぱり黒川か』
「え?」
『後ろ後ろ』
言われるままに背後を振り向けば、そこにはいつものスーツ姿の彼が携帯電話を耳に当てながら、ひらひらと手を振っていた。その姿を見た途端、一気に身体の中の体温が急上昇する。そうして左手に持ったショップバックの中身を思い出し、咄嗟に後ろ手に隠してしまう。そんな黒川の心境を知るはずもない相手は、やっぱりいつもの呑気な笑顔を浮かべていた。
「そう言えば、今日は休みだったっけ」
「ええ、まあ」
「俺もちょうど今空き時間でさ、良かったら事務所でお茶でもしていかないか?」
「別に構わないけど」
「じゃあ行こう」
促されて、黒川は彼の少し後ろをついて歩きだす。駐車場にはいつもの社用車が置かれているのを見つけて、何とはなしに黒川は口を開いた。訊く。
「今日、何の仕事があったの?」
「バレンタインの特別料理番組の企画。奏と法子と忍、あと有香ちゃんに拓海さんがチョコレートのお菓子を作ってたよ」
「……へえ」
「毒味だとかなんだかで、さっき皆に色々押しつけられてさ。まあ義理でもうれしいけどね」
「……」
思わず、黒川は黙り込んでしまった。今、社用車の中にはその彼女たちから渡されたチョコレートたちが積まれているのだろう。それならば、今がチャンスかもしれない。この流れで「ついで」に渡してしまえばいいと、そう思って。
一歩、相手との距離を詰める。
「あの、プロデューサー」
「ん?」
「…わたしからも、これ」
「え?」
「か、奏たちから沢山もらってるみたいだけど、一応、その、お世話になってるから」
ずい、と差し出したショップバッグは二人の間で暫く揺れたあと、何故かひどく動揺した彼の手に渡っていった。中身を確認するように見て、けれどすぐに視線を落とす。後ろ頭をがしがしと掻いたあと、彼は「あー」と何とも気の抜けた声を出した。
「……なんだ、その、嬉しいよ。うん、嬉しい」
「そ、そう」
「義理でもさ、やっぱり嬉しいな。黒川からもらえると思ってなかったから」
「……わたし、そんなに薄情に見えるのかしら」
「ちが、いや! そうじゃなくて! もらえたらいいなって思ってたから!」
「え?」
「あ、いや」
会話が途絶えて、しんと二人の間に沈黙が落ちる。けれどすぐにあー、だとかうー、だとか彼の呻き声が聞こえ始めたところで、黒川は一歩後退した。
「あの、プロデューサー」
「な、なんでしょう」
「お茶は、また今度で。ちょっと急用を思い出したの」
「そう、か」
「ええ、だからここで」
そこまで言って、黒川はくるりと背を向けた。足早にその場を立ち去り、すぐに「空車」の表示がされていたタクシーを捕まえる。後部座席に乗り込んで、行き先を告げて、そして。
「………」
口元に手を置いて、俯く。ばくばくとうるさい心臓が飛び出してきそうで、体温が上昇しっぱなしだ。ひょっとしたら、本当に熱があるんじゃないかと心配になるほど熱くて、苦しい。
(……期待を、)
先ほどのプロデューサーの反応に、してはいけない期待をしてしまう。けれど沢山もらうであろうチョコレートの中で、自分の分を待っていてくれたというのはやっぱりもらう側からの社交辞令なのだろうか。
当然いくら考えても答えなぞ出るはずもなく、ただ手作りにすれば良かったと今さらのように後悔したのだった。
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