「あかりさんって、好きな人いないの?」
唐突に、友人の密はそんな話を切り出した。あかりの机を挟んで向かい合うようにして座る彼女は、すっかり食べ終わったお弁当をしまいながら、いつもと変わらぬおっとりとした口調で言う。そのあまりにもいつも通りすぎる口調に、あかりは何を言われているのかわからなかった。数秒の間を置いて、それでもどう反応していいのかわからずに「え?」とだけ切り返す。すると密はそんなあかりの反応がお気に召さなかったのか、きれいな眉をちょっとだけ吊り上げた。
「たまにはあかりさんからそういう話聞きたいなーって思ったんだけど」
「え、えっと、その、唐突だね?」
「そんなことないでしょ。だってもうすぐバレンタインだし」
言う密の指摘に、あかりはようやく合点がいった。バレンタイン。昨今では男子が女子にチョコレートを贈ったりするようになったものの、それでも主役は女子に偏るイベントだ。ショッピングモールのテナントなど、バレンタイン戦争とばかりにさまざまなチョコレートが並べられている。
元々甘いものは大好きなので、色々な種類のチョコレートは眺めているだけでも楽しい。
けれど、それを誰か――好きな人にあげるなど、考えてもみなかった。
そもそも好きな人と言われても、イマイチぴんとくる相手がいない。なんとなく脳裏を過った相手は、好きな人というよりはケンカ友達だ。もしくはお父さんだ。仮にも「はね学のプリンス」をお父さん呼ばわりしてるなど、彼を慕う女子に聞かれたらなんて言われるかを想像して、思わず首を竦めた。けれどそのお父さんこと佐伯瑛は、プリンスと呼ばれるだけにモテているのは嫌というほど知っている。あかりからすれば、なぜ彼があんなにも人気があるのか理解出来ない。彼の容姿がかっこいいことは認めよう。しかしあの屈折した性格を思い出して、あかりは顔を顰めた。
「顔」
「あ」
端的に指摘されて、あかりははっと我に返る。いけないいけない。つい日頃繰り出されるチョップへの恨みつらみまでも思い出してしまっていた。
あかりは両手で頬を包むように触れて顔の表情を解そうところで、廊下から「佐伯くーん!」と複数の女子の声が上がった。咄嗟に反応してそちらを見やれば、ちょうど出入り口にいたらしい彼が女子に捕まったところだった。なんてことない見慣れた風景だというのに、なんとなく心の中にもやもやとした気持ちが広がっていく。
「……別に」
(わたしがあげなくても)
後半の言葉は、心の中だけで呟く。自分があげなくても、他の子からもらえるのはすでに分かりきっている。それなら最初からあげなければ傷つくこともないと考えて、はたりと思考を止めた。傷つくってなに?
と自問自答しようとして、目の前に座る友人が何やら楽しそうに笑っていることに気がついた。
密の表情に、あかりは居心地の悪さを感じて視線を逸らす。
「別に、わたしはバレンタインとかはいいかな! お父さんにあげるくらいだし!」
「ふーん」
「…なんですか」
「私はバレンタインに手作りするつもりんだけど、あかりさんも一緒に作らない?」
「今の流れでなんでそうなるの!」
「別に大したことじゃないでしょ? 作ったチョコレートは自分で食べたっていんだし。私と交換するっていうのもありよね」
楽しそうに続ける密に、あかりはそれ以上二の句が言えなかった。おそらくこれ以上会話を続ければ、墓穴を掘るのは目に見えている。否、すでにもう掘っている気がしないでもないが、敢えてその一歩手前で踏みとどまってくれている友人に感謝しつつ、あかりはそそくさとお弁当を片づけ始めた。
バレンタインまであと少し。
密からの申し出を断る理由もなく、あかりは「お父さん」へのチョコレートをどうしようかと、ほんの少しだけ気持ちを弾ませたのだった。
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