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イチジ九

すべからくどうしようもない日常のあれこれ。 ネタバレ盛り沢山ですので注意!

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玄徳小話




 ふいに、目が覚めた。
 辺りはまだ暗くて、月明りだけがやけに眩しい。
(月、のせいかな)
 いつもより明るく輝いている月に呼ばれるように、花は寝台から起き上がると、部屋の外に出た。
 少し肌寒い気もするけれど、我慢できないほどではない。
 夜空には月が輝いて、それを囲むように星が瞬いている。あちらの世界いるときはこんな風に月を見上げることなんて、数えるほどしか覚えていない。月を見上げる代わりにテレビを見て、携帯電話でメールを返して、明日の授業のことを考える。そんな毎日に不満があったわけじゃない。むしろ、今思い返せばひどく幸せだったのだろうと思う。家族がいて、友達がいて、暖かい家とご飯があって。当たり前のそれらがとても恵まれていることなんだと、この世界に来てから思い知らされた。それでも、その幸せな世界よりこもここに残ると決めたのは、
「花?」
 つと、名前を呼ばれて振り返った。視線の先には一人の男が――玄徳が立っていた。彼は驚いたような表情をして、けれどそれは花も同じだった。すっかり皆が寝静まっているようなこの時間、起きているのは自分だけだと思っていたから。
「……どうした」
 花が玄徳の名前を呼ぶより、彼の問いの方がはやかった。しかしどうしたというその問いに何と返せばいいのかわからずに小首を傾げると、神妙な顔をした玄徳がこちらに近寄ってきた。
 彼は花に顔を近づけてくると、彼女の頬に触れた。指先が目元を拭う仕草に、花はようやく自分が泣いていることに気付いた。
「あ、れ?」
「……花」
 自覚した途端に勢いを増した涙に戸惑えば、玄徳にきつく抱きしめられた。そうすることでひどく安心する反面、どうしようもない寂しさも自覚してしまった。花は玄徳の首に腕を回せば、彼は無言で彼女の身体を抱き上げた。そのまますぐそこの花の部屋に彼女を連れていって、寝台の上に下ろす。
「げん、とくさん」
「後悔、してるのか?」
「ち、がいます。後悔とかじゃなくて、ホームシックっていうか」
「ほーむしっく?」
「あ。……ええと、なんていうか、ちょっとだけ家族が恋しくなっちゃっただけで、後悔とかしてるわけじゃないんです」
「……家族、か」
「玄徳さん?」
 再び、玄徳が神妙な顔つきになる。しかしそれは先ほどよりももっと真剣で、複雑そうだった。花はまだ目じりに残る涙を服の袖で拭うと、あの、と相手の顔を見やる。改めて間近で見る玄徳の顔に、今さらながらどきどきする。初めて玄徳とキスをしたことを思い出してしまい、さっきまでのホームシックな気持ちとは打って変わって頬が熱くなる。我ながらなんてゲンキンなと思うけれど、自分が元の世界よりもこの世界に留まる決意をしたきっかけとなったのは玄徳への気持ちあってこそだ。この気持ちを手放したくなくて、玄徳と一緒に生きていきたいと思ったから。
 だから、残った。
 玄徳を、選んだ。
「花」
 ふいに、玄徳が低い声で花を呼んだ。見つめられる眼差しの強さに、心臓が高く鳴る。はい、と上擦った声で返事をすると、彼の手が、指が花の髪を撫でるように梳いた。そのまま再び腕の中に抱きすくめられると、耳元に玄徳の吐息が掛かってくすぐったい。
「俺との間に新しい家族が出来たら、寂しくないか?」
「え?」
 呟いて、数秒。考える。
 家族。
 玄徳との、家族。
 新しい家族というのは、つまり。
(……――赤、ちゃん?)
 そこまで考えて、ぎしり、と身体が固まる。
 玄徳とは婚約宣言をされていて、まだ婚儀は迎えていないけれど周囲からはすでにそういう認識を持たれていて。
(も、元の世界でだって結婚して奥さんと旦那さんになったらいつかはお父さんとお母さんになるってことでつまりだからそういう…!)
 顔どころか身体が発熱してるようで、絶対に赤いであろう顔は夜のために見られなくてよかったと、なぜか明後日の方向のことを考えてしまうほど花は無自覚に混乱していた。
 けれど、
「あ、の」
「嫌か?」
 重ねて、玄徳の声が訊いてくる。
 その声の重みが、まるであの時――「待てない」と言って唇を重ねられたときを彷彿とさせる響きがあった。彼の手が、花の手に触れ、指と指が絡まる。自分よりも一回り大きな玄徳の手と、武骨な感触に心臓はどんどん鼓動を速めていく。
「……玄徳、さん、わたし」
「うん」
「そ、の……こういうっていうか、そ、そういうことが、は、初めて、で」
「うん」
「だから、…めんどくさいかなって」
「そんなことはない。絶対」
「そう、ですか」
「ああ」
「……」
「……」
「……あの」
「花」
 何か言わなければいけないことを必死に探して言葉を続けようとしたが、玄徳の声に思わず口を閉じる。
「嫌なら、しない」
「……い、嫌とかじゃ、ないんです」
「うん」
「玄徳さん」
「……なんだ」
「わたし、玄徳さんが好きです」
「俺も、花が好きだ。愛してる」
 そう玄徳が告げると、ぐらりと視界が揺らいだ。ぽすんと背中に寝台が辺り、玄徳の背中越しに薄暗い天井が見える。
 逃げたい、と思う。
 けれどその反面で、逃げたくない、とも思う。
 相反した気持ちのせめぎ合いに、どうしていいのかわからない。
「花」
 自分を呼ぶ玄徳の声に、何故か初めて彼と出会ったときのことが思い出された。
 突然この世界に放り出されて、右も左もわからない自分を孔明の弟子として信じてくれた。
 いつも、いつだって無条件で信じて、受け入れてくれた玄徳だから、花は好きになった。
 もちろん同じくらい家族も、友達も大事で、大切だ。
 それでも、玄徳の手を離すことなんてできなかったからこの世界に――玄徳の隣を選んだんだ。
「……よ、よろしくお願いします」
 何て言っていいかわからずにそう言うと、何故か玄徳は噴出してしまった。さっきまでどこか知らない男の人のようだったけれど、くつくつと笑いを堪える玄徳は見慣れたいつもの表情で。
 なんだかそんなところで、すとん、と花の心が妙に落ち着いてしまった。
 そして、
「大事にする」
 ぽんと花の頭に手が置かれ、優しく撫でられる。
 それがすごく嬉しくて、はい、と花は返事を返した。







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玄徳さんまじで夜の帝王

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