――つと。
何の前振りもなく、目が覚めた。途端、寝ていることで忘れていた蒸し暑さが美奈子を襲った。
暑い、と思って寝返りを打てば、寝る前に回していた扇風機が止まっていることに気がつく。そういえばタイマーにしていたんだと思い出し、美奈子はもう一度扇風機を起動させようと静かに布団から抜け出した。
夏休みのまっただ中である今、美奈子が所属する柔道部では強化合宿を行うことになった。とはいっても合宿を行うと決めたこと事態が唐突であったため、参加メンバーは発案者の不二山と後輩の新名、顧問の大迫とマネージャーである美奈子の四人だけである。むしろ柔道部の強化合宿というよりは、新名個人への強化合宿ではないかと思わなくもないが、そこは黙っておくことにする。妙なところで不二山の融通が利かないのは、まだ柔道部が部ではなく、同好会として活動してきた一年を共に過ごしてきた経過で身に染みて理解してしまっている。
暗がりの中、目を凝らして扇風機のスイッチを押して、タイマーのボタンを押せば、すぐさま扇風機の羽根が回った。ぶうん、と低い音を起てて、生ぬるい風が送られる。
美奈子は再び物音を起てないように気をつけながら、自分の布団へと戻っては、天上を見上げた。いつもは部員が練習をしてる場所にこうして布団を敷いて寝ているのは、何だか妙な感覚だ。そもそも一年前に不二山に柔道同好会のマネージャーとして勧誘されたときは、部として成立できるなど――まして、こんな立派なプレハブ小屋の練習場で稽古が出来るようになるなんて、夢にも思わなかった。
放課後になると練習ができる場所を探して校舎内を駆け回り、他の部に交渉しては備品を置かせてもらったり、ただ一人の柔道同好会仲間である不二山と二人、部員獲得にちらし配布を行ったりしていた。
その甲斐あってか今では部として認められるほどに人数も増え、だからこそこうして合宿もできる。一人で稽古をしていた不二山にとっては願ったり叶ったりだろう。それはもちろん、美奈子も同じ気持ちだ。
(……なのに)
寂しい、なんて。
そんな不謹慎な感情が、時折美奈子の心の中に沸き上がる。
たくさんの部員。かけ声。笑い声。その中心にいる、不二山の姿。
それは彼が、そして美奈子も求めていたことのはずなのに、どうしてか彼が手の届かない遠い場所へ行ってしまうような気がしてしまう。
その度にどうしようもない寂しさを感じては、気付かないふりをしてきた。しかし今、唐突にその寂しさの理由に気がついてしまった。
不二山はきっと、このままいけば一流体育大学の推薦ももらえることだろう。そうしてそのまま、彼は柔道の道へと進んでいく。それは彼が望んだことで、彼が進むべき道であることはわかっている。けれど不二山の選んだ道では、長くても美奈子はこの高校在学まででしか彼の隣にいることが出来ない。
その現実が、ひどく寂しい気持ちにさせるのだ。
もぞり、と布団の中で寝返りを打って、隣に眠る不二山の寝顔を見やる。ぐっすりと眠っている彼の寝顔を見つめて、寂しい気持ちはどんどん募ってゆく。
と、
「眠れないんか」
「…ッ!」
予期せず不二山から声を掛けられて、美奈子は声を上げそうにあった。のど元まで出かかった悲鳴を何とか飲み込み、一気に上がった心拍数を落ち着かせるように胸元を押さえる。それでも耳許でドッドッドッ、とうるさく鳴る鼓動は止めようもない。
「…お、起きてた、の?」
「あー…なんとなく、目が覚めた」
そう言って、ごろんと不二山は寝返りを打って、美奈子へと向き直る。
「おまえこそ、どうした?」
「ちょっと、暑くて…」
「それだけか?」
「え?」
「なんか、他にあったりしねえ?」
ずばり、図星を突くような言い方をされて、ようやく落ち着いてきた心臓が再び、どん、と大きくなった。けれど美奈子はその動揺を悟られないように自身へと言い聞かせ、何でもないよ、と口を開いた。
「明日も早いし、寝よう」
「ああ」
「おやすみなさい」
「美奈子」
ふいに名前を呼ばれたかと思うと、不二山の手が布団の中に潜り込んできた。そうして迷わず美奈子の手を見つけて、彼の手と繋がられる。
「あ、らしくん」
「ん?」
「手、なんで…」
「嫌か?」
「い、いやではないけど」
「じゃあいいだろう」
「でも、あの」
「なんか、おまえがいなくなりそうだから」
そういって、不二山は微笑ったように見えた。正確には暗闇なので、正しく相手の表情を読み取ることはできないが、この一年間で共に過ごした経験から、彼の仕草と雰囲気は何となく掴める。そうして、その微笑ったような気配がひどく優しいものだと知っている。
「……いなくなったりなんか、しないよ」
「そうか」
「そうだよ」
「でも、俺がこうしてたい」
「……もう」
珍しい不二山の我が儘に、美奈子は思わず苦笑を零してしまった。
さっきまであんなにもやもやしていた気持ちが、うそみたいに緩和されていく。しかし、それでもどうしたって心の一番奥に引っかかっている気持ちだけは誤魔化されてくれないのもわかって、美奈子は繋がれている手に、ほんの少しだけ力を入れて握り返した。そうすることで、もっと不二山の存在を近くに感じることができるような気がした。ただの気休めかもしれないけれど、確かに今、自分は彼の隣にいるのは事実だ。
「……おやすみ、嵐くん」
「おう」
まだまだ暑い夏真っ盛り。高校生活はあと一年と半年ばかり。残りの時間でどれだけたくさんの思い出を作れるのか。悲観的に考えるより、楽天的に考えられるようにすることが、今の美奈子に出来る最善策であった。
翌日、目が覚めたときにもお互いの手がしっかりと握られていて。
改めて気恥ずかしさに襲われて、その日一日美奈子はまともに不二山を見ることができなかったとか。
[2回]
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