しか落ちなど書かずに放置しすぎて何を書きたかったのか忘れたよ!
なので書き途中までを晒す刑。
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通りがかった廊下の先で見つけた美奈子に声を掛けようとして、やめた。
きゅっと上履きのゴムを鳴らし、踵を返した設楽は階段を昇って自分の教室へと向かう。
カレンとみよといったいつもの組み合わせでいた美奈子は、パッと見た限りではいつも通りだ。へらへらと脳天気な顔で笑ってはいたが、その中にちらりと暗い影が指しているのに気がついた。
とはいっても彼女を見たのはほんの一瞬で、そんなものはひょっとしたら勘違いかもしれない。たまたま光の加減でそう見えただけで、一々気にすることじゃない。設楽はそう自分に言い聞かせるものの、どうしてか勘違いではない可能性ばかりが胸の内に広がっていく。
(ああくそ、面倒くさい)
内心で毒づいて、制服のズボンに突っ込んでおいた携帯を開く。何度やっても携帯電話のメール操作というものは慣れない。その辿々しい手つきで何とか文章を 打ち終えると、最後に送信のボタンを押す。ちいさなディスプレイの中でメールが送信完了された画面を確認すると、設楽は深いため息をと吐いた後、不機嫌に顔を顰めた。
そうしてやってきた放課後では、音楽室にやってきた美奈子はどこか不思議そうな表情を浮かべていた。すでにピアノの前に座っていた設楽は、そんな相手の様子に目じりを引きつらせた。ぽん、と指先で「ソ」の音を鳴らして、言う。
「一曲弾いてやる。リクエストしろ」
「え?」
「この俺がリクエストを聞いてやるっていってるんだ。早く言え」
「ええと?」
突然振られた話題に面食らいつつも、ぱちぱちと二度瞬きを繰り返し、視線を虚空へと移す。数秒迷うような素振りを見せたあと、うん、と何かに頷いて彼女は告げる。
「えと、じゃあいつも先輩が弾いてる曲で」
「なんだ、聴かせがいがない」
「あれが好きなんです」
妙にきっぱりと言い切る彼女に少しだけ訝かりながらも、ふうんといつも通りに素っ気ない相槌を返す。改めてピアノへと向き直り、そういえばこの音楽室でこいつに会ったんだったなと思い出す。その時はこの曲を弾くのが嫌で嫌でたまらなかった。ピアノを嫌いになるのに必死で、こうして再び向き合うことになるなんて、思いもしなかった。
美奈子のことだって、最初はただの後輩に過ぎなかった。たまたま通り掛って話しかけられたから、答えた。ただそれだけに過ぎなくて、しかも今思い出せば随分とひどい嫌味を言ったものだ。結局何の因果かそれからも彼女とはしばしば顔を合わせる回数が増え、気がつけば二年という歳月が経とうとしていた。美奈子より一学年年上の設楽は今年で卒業だ。卒業してしまえば、こうして校内で彼女を呼び出し、こうやってピアノを聴かせることもなくなる。しかも自分が進学するのは音大だ。一般進路を進む彼女が選ぶ道ではない。
卒業まで、あと何回ここで弾くことができるだろう。
そうして何度美奈子に聴かせることができるだろうと考えて、らしくない考えに内心で頭を振る。今は俺のことじゃない。こいつのことだ。設楽はそう自分に言い聞かせ、すっと背筋を伸ばして演奏を始めた。
もはや何度も弾いているので、楽譜など暗記してしまっている。当然指も鍵盤の位置を覚えていて、迷うことなく旋律が奏でられていく。
「で」
彼女のリクエスト通り一曲弾き終わり、一人分の拍手を受けた設楽は半眼で相手を睨んだ。そうして短く問いかけてみれば、拍手を送っている本人――美奈子はきょとんした目でこちらを映す。その目に少しだけイラつきながら、設楽は「だから」と言葉を続けた。
「何に落ち込んでるんだよ」
「え?」
設楽の言葉を聞いて、美奈子は驚いたように目を丸くさせた。拍手をしていた手を止めて、改めて設楽を見やる。その間にも彼の苛々は募っていく。そもそも、彼は気が長い方ではない。
と、ふっと美奈子の表情が落ちた。廊下で見かけた表情をさらに暗く落ち込ませたようになったと思えば、今度は今にも泣き出しそうな顔をされて思わず動揺するも、設楽が口を開くより先に彼女が泣き笑いのようにわらって、答えた。
「…わかっちゃいました?」
言うその声はひどくちいさくて、震えていた。本人もそれがわかったのか、ばつが悪そうに俯いて、設楽から視線を逸らす。
「先輩は優しいです」
「別に優しくない」
「優しいですよ。だって、わたしを元気づけるため にピアノを弾いてくれたんですよね?」
「……たまたま人に聴かせたい気分だっただけだ」
「そうですか。じゃあどっちにしてもラッキーですね!」
空元気なのは明白だ。明るく言ったはずの声はやっぱり震えていて、一度は落ち着いた苛立ちが再び頭を擡げ始めた。何なんだよ。思わず毒づきそうになる言葉を飲み込み、代わりにため息を吐き出した。鍵盤の上に指を乗せ、再び伴奏を始める。
「辛いなら辛いって、言えよ」
視線は鍵盤に落としたまま、設楽はつっけんどんに言った。え、と驚いたような相手の声を聞き、伴奏する手を止める。途端、音楽室には静寂が戻った。
設楽はピアノから美奈子へ視線を向けて、いつもの不遜な態度で言ってやる。
「無理なんかしたって、何もいいことなんかないぞ」
きっぱりと設楽がいったその瞬間。まるでそれが スイッチのように、ぼろりと美奈子の目から涙が零れた。さすがの設楽もこれにはぎょっ と目を開き、立ち上がる。がたん、と椅子が音を上げるのにも構わずに彼女の元へと近寄り、おい、とその肩を掴む。ごめんなさい、と蚊の鳴くような声で謝られて、設楽は更に困惑する。
「ごめんなさい…わたし、いつも聖司先輩に迷惑 ばっかりかけてて」
「別に、迷惑だなんて思ったことはない」
「…う、うえっ」
「ああもう、いいから泣き止め」
いらだった声でそういえば、はい、と律儀に相手 は頷いた。けれども泣き止む気配の見えない涙を何度も何度も拭うその姿を見て、設楽は相手の掴んだ身体を引き寄せていた。
「せんぱ」
「うるさい」
「あの」
「黙れ」
「聖司先輩」
こちらの静止の声には耳を貸さずに彼女は設楽を 呼ぶ。困惑しつつも、彼はうんざりとした態度を返した。抱き寄せた腕の中の美奈子が設 楽のブレザーを引っ張り、涙で濡れた目が設楽を映す。さすがにそんな状態の相手を直視することはできなくて、設楽は若干視線を外した。聖司先輩と美奈子が呼び、ぽつんと呟いた。
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