相も変わらずのスランプでござる。
とりあえず無理やりにまとめてみた出会い編のようなもの。
新名を先輩呼びし隊。
高校に入学したらナンパは卒業。
それは以前から決めていたことだった。だから本日無事に入学式を終え、まだ真新しいはばたき学園の制服を着た新名は高校生としての最初で最後のナンパに繰り出していた矢先だった。OL、大学生、同年代の高校生と様々な人が行き交う中、ふいに一人の後姿に目が留まった。
特に目立つ格好をしているわけではない。ごくごく普通の、逆に言えば普通過ぎて目立たないタイプの少女だ。肩口で切りそろえられている髪も、やっぱりよくありがちなボブカットだ。目立つカラーを入れてるわけでもない。
しかし新名は、殆ど無意識にその後姿を追いかけていた。平日というのもあってか、まだ人はまばらで彼女を見失わずに済んだ。元々男女のコンパスの差も手伝って、二人の距離はあっという間に縮まる。新名は相手のすぐ後ろまで近づいたところで、延ばし掛けた手を引っ込める。いやいやいや、落ち着けオレ。背後からいきなり声掛けるとかナンパじゃなくて不審者だろうが! ていうかナンパ初心者か!
そう内心で地団駄を踏みつつも、さてどうするかと考える。このままずっと後を尾けていたらそれこそストーカーに他ならない。
うーんと新名が考えている矢先、妙に派手な頭が視界に入った。まだらな茶色を逆立てたかのようにボリュームを持たせたその頭の持ち主は新名を追い越し、目の前の彼女の前に回り込む。そして、
「ねえねえカーノジョ、暇? 俺とお茶しない?」
「え…?」
なんとも唐突、かつ無遠慮な言葉に少女は足を止めさせられた。きょろきょろと周囲を伺う彼女に対して、男の方はさらに距離を詰める。
「なにキョロキョロしてんの、あんたに言ってんの。ほら、行こうぜ」
「あの、わたし…」
「…おい」
思わず、ナンパ男と少女の間に割って入っていた。
腕を掴まれている彼女から男の手を叩き落とし、自分の後ろへと隠す。突然の乱入者にナンパ男は目を白黒させている間に、新名はさらにたたみ掛ける。
「嫌がってんのを強引に連れてこうとすんなよ。一歩間違えれば犯罪だぜ?」
「あ? そっちには関係ねーだろ!」
「関係なくても見逃せるかよ。ほら、さっさと行けって」
「ふざけんな…ッ」
と、男が声を荒げようとして、その動きが止まる。周囲の刺すような視線に気が付いたのだろう。
人が少ないといっても元々往来ではあるのだ。そこでこんなやり取りをしていれば、いかにも自分が悪者ですといってるのも同意義だ。その辺の頓着がなければこのまま喧嘩にまで発展する覚悟もしていたが、どうやら胆が小さい相手だったらしい。自分を取り巻く冷めた空気を察して、決まりの悪い表情に舌打ちを加えて退散していった。足早に去っていく後ろ姿が近くの角を曲がって見えなくなってから、ようやく新名は息を吐き出して振り返る。
と、
「え、ちょ、待っ」
「…す、すみません!」
振り返った先で瞳いっぱいに涙を溜めた彼女の表情に、新名は思わず狼狽える。通り過ぎていく人たちはどんどん変わっていくので、先程までの流れを知らない人たちにはとっては、今度は新名が悪者として仕立てられてしまう。ちくちくと刺さる視線を自分が浴びる立場に代わり、新名は居たたまれなさに周囲を見渡す。するとすぐ近くにチェーン店の喫茶店を見つけ、少女の手首を掴んで強引にならないくらいの力加減で引き寄せた。抵抗はされない。
「とりあえず、こっち」
言う新名にもう一度「すみません」と言う彼女を伴って、二人一緒に喫茶店へと入っていく。
いらっしゃいませと出迎える店員にコーヒーを二人分注文。チェーン店ならではの素早い商品提供は、こういうときは有り難い。トレイに載せられたコーヒーを受け取り、新名は空いている席へと向かう。
「座って」
「…すみません」
三度目の同じ言葉を言って、少女は新名の向かい側に腰を下ろした。バッグから出したであろうハンカチで目元を抑えている。
暫く相手が落ち着くまで、新名は注文したコーヒーに口をつけた。砂糖もミルクも入れずにブラックで飲み始めたのは最近だ。最近ようやく慣れてきたコーヒーの苦みが、今日に限っていつもより強く感じるのは気のせいか。
店内に流れるゆったりとした曲調が、妙に新名を焦らせる。
「あの……ありがとうございます」
新名がコーヒーを半分ほど飲み干したところで、ようやく少女から違う言葉が聞けた。目はまだ少し赤いけれど、泣く衝動は収まったらしい。
「いいって」
「コーヒー代、払います」
「これくらいなんてことないからさ、気にすんなよ」
「でも」
「じゃあ、コーヒー代の代わりにもう少しだけオレとお話してくんない?」
なるべく軽い調子で言ってみるものの、彼女の表情が一瞬陰ったのに気が付いた。しまったと内心で顔を顰めるものの、それは臆面にも出さない。軽く肩を竦めて、腰を浮かせる。
「なんつって、冗談。オレ先に行くからさ、もう少し落ち着いたら気をつけて帰りなよ」
「あ、ちが、」
立ち上がった新名と一緒に、彼女も一緒に席を立つ。慌てたようにブレザーの裾を掴んできた彼女に、思わず驚いた表情を向けてしまう。ばっちり視線が合ったところで、相手は再び俯いた。
「えーと……とりあえず、座るか」
「はい…」
新名の提案に頷いて、二人はもう一度席に着く。
変わらず店内に流れるBGMを暫く聞き流していると、今度は彼女の方から口を開いてきた。
「…その制服、はば学ですよね?」
「うん、まあ」
「わたし、来年受験するつもりなんです」
「へえ。…てことは、今中三?」
「はい」
頷いて、けれど再びその顔が陰った。俯く彼女を見やれば、困ったような表情でわらう。
「でも、わたしの成績だとはば学に届かなくて。だからはば学の制服を目の当たりにしたらすごく羨ましくなっちゃったんです」
「まだ一年あるんだから、努力次第で行けるんじゃね?」
「でも」
「言い訳とかするくらいなら、最初から言わない方がいいぜ。逃げ道作ってラクになりたい気持ちはわかるけど」
そこまで言って、新名ははっと我に返る。初対面の、しかもお互いの名前すら知らない相手に何を説教してんだオレは!
内心でつっこんでから恐る恐る彼女の様子を伺う。再び俯いてしまった相手の表情は見えず、新名はコーヒーを一気に煽ってカップをソーサーの上に置く。かちゃん、と食器同士の触れた音が上がる。
「……悪い、ちょっと言い過ぎた」
「いえ、その通りですし」
「や、つっても初対面の子に偉そうに言える立場じゃねえっつうか」
「逆にそういってもらえて、吹っ切れました」
再び泣きに入られたと予想していただけに、改めて新名へと視線を上げた彼女の目は先程自分で言った通り、どこか吹っ切れて見えた。
「あと一年、頑張ってみます」
「そっか」
まるで決意表明のように言う相手の言葉に、新名は頷いた。
「じゃあ、はば学で待ってるぜ」
「はい」
「あー…でさ。名前、聞いてもいい?」
経験上、この流れならば名前を聞けることは間違いないとわかっているはずのに、妙な緊張感を覚えた。それこそまるで初めてナンパをしたときみたいな心境を思い出して、内心では平静を保つのに必死だ。そしてそんな新名の努力は実っていたらしく、出会ってから初めて笑みを浮かべて、彼女は名前を名乗ってくれた。
「小波美奈子です」
「オレは新名旬平」
「新名先輩ですね」
嬉しそうに、そしてどこか恥ずかしそうに新名を呼ぶ姿が初々しくて、こちらまでつられてしまいそうになる。
先輩なんて、中学時代から呼ばれてもいたのだから別に珍しくもねーのに。
そんな風に己へと突っ込んではみるものの、やっぱり浮き足だっている気持ちは自覚していた。
結局そのあと三十分ほど会話をしてから、店を出た。
(さすがに電話番号までは無理か)
別れ際、それじゃあと頭を下げる美奈子には手を振ることしかできなかった。
「……つか、なんでこんな舞い上がってんだオレ」
声に出して呟いて、新名は美奈子とは反対側の道へと踵を返した。
[5回]