人間の適応力っていうものはすごいなあと、綱吉は他人事のように思いながら目を覚ました。
雲雀のマンションへ強制合宿を強いられてから一週間が経過していた。
初めてここに拉致されてきた時は様々なプレッシャーに押しつぶされそうだったけれど、三日も経てば人は現状を受け入れるしかなくなるらしい。否、確かにそれもあるが、中学一年のある日からいきなり赤ん坊のヒットマンが家庭教師として押しかけてきてからはマフィアのボスになるべく、撃たれたり死んだり生き返ったり修行したり暗殺部隊と戦わされたりと現在進行形で(※ここ重要)忙しい為、綱吉には非現実を受け入れてしまうというあまり嬉しくない免疫が知らずについてしまっていた。
目の前で起きて、巻き込まれていく日常をどれだけ否定しようが逃げようが、それらが叶うわけがないと本能で悟った上での諦め、ともいうけれど。
そのことに少しだけ落ち込みながら、綱吉は上半身を起こした。隣ではいまだ眠りにつく雲雀がいる。
雲雀の部屋に夏休みの間だけ住み込むのは覚悟したのだが、よくよく考えれば『あの』雲雀恭弥の家に客用の布団などあるはずがなく。初めて訪れた日の夜に、床で寝ろと言われるのを覚悟していたのだが、返ってきたのは予想外の返答だった。
「一緒に寝ればいいだけでしょ」
さらりと。
事もなげに言われた言葉に反応できず、その日何度目かの思考停止体験を経験した。
確かにあの日はうっかり気を失って、気がついた時には雲雀のベッドに寝かされていた。ついでに目を覚ました時には何故か隣で雲雀が昼寝をしていたけれど。
あれだけでも心臓に悪いというのに毎日一緒に寝るだなんて!
綱吉は胸中で頭を抱えはしたが、かといって毎日床で寝るのは正直、しんどい。
結局綱吉は様々な葛藤の末、雲雀のベッドに寝かせてもらうことになったのだけど、それとは別にいつの間にか朝昼晩のご飯係りになってしまっていた。
(だってあの人、放っておいたら何食べてるかわからないし!)
すでに冷蔵庫内は綱吉の領域だった。初めの一日目は夕飯しか食べていなかったのでわからなかったが、雲雀は基本的に自分で料理をしないらしい。まあその辺は想像の範囲内だったけれど、それ以前に彼は食事を買いに行ったり食べに行ったりという行為が面倒のようで。食べることは嫌いではないが、買いに行くのが嫌だという。そうなると必然的に出前が多くなるのだが、電話を掛けるのも億劫な時も少なくないらしく、そうなると雲雀の主食は専ら栄養ゼリーやカロリーメイト等々。
さすがの綱吉も三日目には見ていられなくなったのと、自分もそれだけでは辛くなっていたのもあって勉強を教えてもらっているお礼(お詫び?)も兼ねて料理をする役を買って出た。
とはいっても所詮一介の男子高校生。作るといっても大ざっぱなものしかできないというもの。けれど、沢田家には面倒を見なければならない子供たちが多数居候しているので、食べられないものではない。この時ばかりは母親・奈々の「今時の男の子は料理くらいできなきゃだめよ~」と無理矢理台所に立たせてくれてたことをありがたく思った。
(それにしても)
ちらりと、綱吉は隣で眠る雲雀の姿をみて、
(あんなんばっかりしか食ってないのに俺より身長が高いなんて、詐欺だ!)
そうぶちぶちと文句を独りごちながらベッドを抜け出した。
ダイニング兼用のキッチンに立つと、乾かしておいたフライパンをガスコンロの上に置いて火を点ける。適度に熱したところに油を引いて卵を割り入れれば、怒りをぶつけるように菜箸を動かしてスクランブルエッグを作りあげていく。再び冷蔵庫を開けてレタスを取り出し、ざっと洗って適当にちぎった葉を皿にのせる。その上に先ほどのスクランブルエッグを加えて、トーストとコーヒーを用意しようとすれば、背後でドアが開く。
「おはよ」
「おはようございます」
ふわあ、とあくびをひとつあげて、雲雀は顔を洗いに洗面所に向かった。
雲雀が戻る頃にはすっかり朝食は出来上がっていて、テーブルについた雲雀は今日配達された新聞を広げる。綱吉はコーヒーを淹れたマグカップを二つ持って座れば、一瞬、あれなんかこれ夫婦みたいじゃない? とか思ってしまった。そんな馬鹿な。
ともあれ。
二人の朝は何だかんだでこんな調子で、一日は始まる。
「沢田、ここの計算間違ってるよ」
「あ、すいません。どこですか?」
「五問目と六問目。この二つは引っ掛け問題だから」
気をつけて、と雲雀は綱吉が間違った問題をスラスラと解いてみせる。
流れるような文字を目で追いながら、雲雀の教え方はうまいなあと感心してしまう。否、うまいのは綱吉の苦手な部分を見つけることが、かもしれない。今みたいに数学の問題を解いて行き詰まればどこで計算式が食い違っているのかをすぐに指定くれるものだから、さすがの綱吉にもわかりやすい。
雲雀は五問目の問題を解いてみせては六問目を解いてみなよ、と綱吉に言った後は再び文庫本を開いた。
(こうして黙っていれば、きれいな人なんだよなー)
問題を解いている合間にちらりと雲雀を見て、思う。少し癖のある黒い髪と、髪と同じ色の目は切長で。縁取るような睫は長くて更に雲雀の容姿を際立たせているというもの。雲雀の性格、というか行動故に表だって騒がれたりはしないけれど、それでもしっかりと根強いファンがいることを綱吉は知っている。
「…ねえ、僕に何か言いたいことでもあるの?」
「うわすいません! ぼんやりしてました!!」
少しのつもりがいつの間にか雲雀を凝視してしまっていたらしく、文庫本から不機嫌に上げられた目線から逃れるように、慌てて問題に向き直った。しかし、雲雀は本を閉じて綱吉に手を伸ばしてきた。
やばい噛み殺される! と覚悟して目を閉じるものの、その手が綱吉に届く前に携帯の着信音が部屋に鳴り響いた。
「君じゃないの?」
「すすすすいません!」
ピカピカと点灯を繰り返して鳴り続ける携帯電話を放られて、綱吉は謝りつつも受け取った。慌てて携帯を開いてみれば、ディスプレイ画面には「獄寺隼人」の文字。
(獄寺、くん?)
どうにも嫌な予感しかしないけれど、かといって出ないわけにもいかない。綱吉はささやかな抵抗として雲雀に背を向けると、覚悟を決めて通話ボタンを押した。
「もしも…」
『ご無事ですか十代目ー!!!!』
「ご、獄寺くん…」
飛び込んできた予想通り過ぎる獄寺の叫び声に、綱吉はひくりと口許を引きつらせた。
やばい。この調子だと獄寺くんは今、俺がどこにいるか知ってしまっている。
一気に頭の中に起こりうる最悪の事態が駆け抜けた。ちらりと、綱吉は背後にいる雲雀の様子を伺ってみる。雲雀は無関心を装うように読書を再開させてはいるが、纏っているオーラは間違いなく不機嫌そのものだ。
絶対さっきの獄寺くんの声聞こえてるよ! と板挟みな現状に泣きたくなったけれど、今は泣いている場合じゃない。
「獄寺くん、えと、どうかした?」
『リボーンさんから聞きましたよ! 今、雲雀の野郎に拉致されてれしいじゃないですか!? すぐに助けにいきますから…っ!』
「うわあああ! ちょっとまってちょっとまって落ち着いて獄寺くん!」
『安心してください十代目! 俺のダイナマイトで跡形もなく片付けますから!』
「だからちょっと待ってってばー!!」
それが一番嫌なんだってば!
そう続けることはできないのがもどかしい。しかしここで諦めてしまっては、自分を守る為! と使命感に燃えた自称右腕と、並盛最強の元・風紀委員長のバトルで軽くマンションの一つや二つの犠牲が出るのは明白。綱吉は獄寺の勢いに負けないくらい声を張り上げて、必死に彼の誤解(拉致の部分はこの際スルーして)を解くべく言葉を選んで説き伏せた。
結構な時間を要して、何とかしぶしぶ納得した獄寺に安堵して、綱吉は携帯を切ってため息を吐いた。受験の為の数学問題より、こっちの方がよっぽど骨が折れるというものだ。
「お迎えは来ないのかい?」
「…雲雀さん、全部聞いてたじゃないですか」
「まあ、君の選択は正しいんじゃない? 余計な血を見ないで済んだわけだし」
「……どうも」
がっくりと、様々な疲労感を背負いながら綱吉は肩を落とした。
そして何気なくもう一度雲雀を見やれば、少しだけ。
彼の顔が楽しそうに笑っているように見えた。
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