「ええっ? ランボが夏風邪?」
朝、母親からの電話に何かと思って出てみればそういう事だった。
ビアンキとリボーンはすでに一日出かけてしまっているらしく、奈々は奈々で今日の夜には高校の同窓会があるとかで家にはイーピンとフゥ太しかいなくなってしまうらしい。
『だからね、つーくん。お勉強がんばってるのに悪いんだけど、今日だけお家に帰ってきてくれないかしら?』
「あー…わかったよ。ちょっと雲雀さんに言ってからそっち戻るから」
『ごめんね~』
ぴ、とボタンを押して通話を切ると、綱吉は携帯を閉じた。やれやれとため息を吐いて、夏の日射しが照りつけるベランダから室内へと戻る。ひんやりとした冷房の空気に迎え入れられれば、綱吉はテーブルに頬杖をついてニュースを見ている雲雀の隣に腰を下ろした。
「雲雀さん、ちょっとお願いがあるんですが」
「ん?」
テレビから綱吉へと視線を向けて、雲雀は短く訊く。綱吉はえーと、と少し言い淀んでから口を開いた。
「あの、ランボが夏風邪引いたらしくて、今日一日フゥ太とイーピンしかいないみたいなんです。明日には戻ってくるんで、一度家に戻ってもいいですか?」
「ふうん」
いう彼の言葉にそう軽く相槌を打つと、雲雀は少しの間の後にいいよ、とそっけない返答をして再びテレビへと視線を戻してしまった。
「雲雀さん?」
「なに」
「あ、いや。じゃあ俺、支度しますね」
「ん」
と、返事を返す雲雀の視線はやはりテレビに向けられたままだ。
何となく――本当に何となくだけど綱吉は雲雀の様子に僅かな不自然さを感じた気がした。けれど、『不自然』と思ってはみたものの。それが何なのかと聞かれれば説明の言葉が思い浮かばない。
それでも何だかしっくりこないなあと首を傾げるけれど、目の前の雲雀はテレビから流されるニュースをぼんやりと見ているだけ。
結局綱吉は「気のせい」だと無理矢理言い聞かせて、自分を納得させてから立ち上がった。
*
「ただいまー」
「お帰りツナ兄!」
「おかえりなさい!」
久しぶりの我が家に顔を出せば、フゥ太とイーピンが飛びかかる勢いで綱吉を出迎えてくれた。足やら腕やらにまとわりつく二人をそのままに自分の部屋に向かえば、布団にくるまって呑気に寝ているランボの姿があった。
「なんだ。風邪引いたって聞いてたけど意外と大丈夫そうだな」
「うん、昨日の内に熱は下がったから今日は様子見みたいなものなんだ。ママンが心配性だからツナ兄がいた方がいいだろうって」
チビ達の中では「お兄ちゃん」のフゥ太がにこにこと答える。床に座って寝ているランボの額に触れてみれば、確に掌に感じる体温は平熱のようだ。それなりに心配をしていた綱吉はほっ、と安堵の息を吐く。すると、フゥ太が機嫌よく綱吉の背中に抱きついてきた。
「ねえねえツナ兄! 久しぶりなんだし、ゲームの対戦しようよ!」
いうフゥ太に便乗して、イーピンもまた綱吉の膝の上に乗り上げ、すっかり上達した日本語で構ってくれと主張してくるではないか。
「おまえら、俺が受験生だってこと忘れてるだろう」
一応建前のように言ってはみるものの、なんだかんだで綱吉自身も久しぶりに感じる騒がしさが楽しくて。強請られるままテレビに繋げた状態のゲーム機を起動させれば、フゥ太が最近買ったばかりの格闘ゲームのソフトをセットした。スタートボタンでオープニング画面を飛ばして、対戦モードを選択。キャラクター画面に移行すれば、綱吉とフゥ太は各々得意なキャラクターをセレクトした。対戦の開始だ。
テレビから『Fight!』のかけ声が掛かると二人は慣れた手付きでコマンド入力を繰り返し、最初は綱吉が優勢になる。フゥ太のキャラクターが徐々に、けれど確実に体力が減っていく。と、劣勢だったフゥ太は綱吉の攻撃を交したその瞬間を見逃さず、すぐさま超必殺技を繰り出した。狙い違わず、それは綱吉のキャラクターに命中。更にふっ飛んだ相手を追い掛け、続け様にコンボを叩き込められてしまえば勝者はフゥ太であった。
「やったー! 僕の勝ち!」
「まじかよ…」
「ツナ兄、もう一回!」
「望むところだ!」
いうなり綱吉は腕捲りをし、臨戦態勢に備えて膝に乗せていたイーピンを下ろした。再び画面はキャラクター選択に戻り、今度は違うキャラクターにしようと綱吉はカーソルを移動させていく。
と、
「ツナいるー! ランボさんもゲーム!」
突如背後から上がった騒がしい声に振り返れば、いつの間にか起きてしまったらしいランボが布団から這い出てきたところだった。
綱吉の腕の中に頭を突っ込めば、もぞもぞと妙な動きでコントローラーへ手を伸ばす。
「こらランボ! おまえはおとなしく寝てろ!」
「ランボさんも遊ぶもんね!」
「俺がなんで帰ってきたと思ってるんだよ!! いいから布団に戻れっ」
「あーそーぶー!」
ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ。
プラス一人(一匹?)が増えただけなのにも関わらず、一気に部屋は火のついたような大騒ぎになった。
へばりつくランボを引っ剥がして布団に押し戻すと、息つく暇もなくかまえかまえと言わんばかりに甘えてくるフゥ太とイーピン。仕方がないのでその二人の相手をしてやっていれば、またもやランボも「遊ぶ!」と騒ぎはじめるからエンドレスループだ。
綱吉はどうにかこうにか三人の相手をしてやっていると、あっという間に時間は過ぎて夜になってしまっていた。
フゥ太、ランボ、イーピンの三人に母親の奈々が用意してくれていた夕飯を食べさせた後は、騒ぎ疲れたのか三人共ぐっすりと寝に入ったのを見て、ようやく綱吉は人心地着いた。
そうしてフゥ太の布団を掛け直してやると、ふいに雲雀のことを考えた。
(雲雀さん…ちゃんとご飯食ってるかな)
どうせ明日には戻るというのもあって、深く考えずに出てきてしまったけれど。
そういえば冷蔵庫の中に食べられるものがあっただろうかと考えを巡らせてみる。
(どうせなら何か作ってきた方がよかったか。て、いっても一日だけだし、そんな心配することないよな? ランボじゃないんだし)
胸中で呟いて、また。今朝、雲雀に感じた違和感を思い出す。気のせいだと思い込もうとすればするほど、それは綱吉の心に波紋を広げる。
何だろうか。この雲雀に対しての不自然さは。否、不自然というよりは、違和感といった方が近い気がする。それは雲雀が、ではなく、
(俺が?)
つと。
そこで思考が止まる。何か。はっきりとしないけれど、『何か』が掴めそうな気がした。けれど、突如発したランボの「ガハハハハ!」という寝ぼけ笑いに阻まれて結局は掴みきれずに思考は霧散されてしまった。
「……寝よ」
言うなり、綱吉はため息を吐いて無理矢理目を閉じたけれど。
眠りに辿りつくまではまだ少し、遠い。
*
次の日。
自宅から雲雀のマンションに戻る途中に寄ったスーパーの買い物袋を下げた綱吉は、彼の部屋の前でインターフォンを鳴らすのを躊躇っていた。
「うーん」
一人ドアの前で唸りながら、何をこんなに緊張しているんだろうか、とか。たった一日しか経っていないのに、とか色々言い訳をしながらも、指がどうしてもインターフォンを押せないでいる。
やっぱり何も変わっていない黒いドアを見つめ、中にいるであろう雲雀を想像すればまた、うーんと唸ってしまう。
(あーもう! どうにでもなれ!)
買い物袋の重さに指が痺れてきたのも手伝って、半ばヤケになりつつ綱吉は腕と指をインターフォンに向けて伸ばした。
ピンポーン。
単調な電子音が鳴って、綱吉の来訪を室内へ告げる。少しの間の後に室内にあるインターフォンの受話器が上がる気配に続いて、声。
『誰?』
「あ、俺です! 沢田です!」
『……空いてる』
それだけ言われて、通話は切られた。綱吉は言われた通りにドアノブを回してみれば、雲雀のいう通り鍵は掛かっておらず(不用心だな!)、玄関を開けて中に入るとちょうど雲雀が顔を出したところで。
ばっちり視線が合ってしまった。
「…ただいま、戻りました」
「おかえり」
へら、と何とか笑ってみれば、昨日と何ら変わらない雲雀から出迎えの言葉を返された。
そのまま雲雀は綱吉に歩み寄ると、おもむろにその黒い頭をぽすり、と綱吉の肩に乗せてきた。
予想外の行動に思わず持っていたスーパーの袋を落としそうになったけれど、中に卵が入っていたことで綱吉を現実に引き留めてくれた。が。ある意味生き地獄だ。
「雲雀さんっ?」
「……お腹空いた」
「へ?」
ぽそ、と言われた呟きに、思わず間の抜けた声を上げてしまった。そしてまさか、とある考えが浮かんで口の端が引きつった。
「…雲雀さん、昨日何食べました?」
「食べてない」
「はあ!?」
「面倒だったから食べてない。どうせ沢田、今日戻ってくるから」
「いや確にそうですけど! でもだからって何も食べないで待たないでくださいよ!」
「君が今すぐ作ればいい話じゃない?」
「……それ、屁理屈っていいませんか?」
「僕に意見するなんて偉くなったものだね?」
「食べたいものは何でしょうか雲雀さま!」
肩から頭を上げた雲雀の顔が至近距離で笑うものだから、本気で泣きそうになった綱吉はそう言うしかなかった。
雲雀はそんな綱吉に満足したのか「ハンバーグ」とだけ言い残して、手に持っていたスーパーの袋を奪うとさっさとキッチンに向かう。
果たして。
綱吉の買い込んできた材料がハンバーグだと知ってのことかどうか、確かめる術はないけれど。
去り際に、ふっ、と。
微笑むようにして笑った雲雀に一瞬どきりとしてしまったのは、言わないでおこうと誓った。
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