アンケリクでケンカしちゃう琉夏バンでござる。
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虫の居所が悪かったで片付けるには、言い方がきつかった。しかし「きつい」と自覚したのは言ってしまったあとの相手の反応を見てからだ。あからさまに傷ついた表情になった美奈子の顔を見て、しまったと後悔した。したけれど、うまいフォローの言葉が見つからない。いつものようにふざけて「なんちて」で済ますには、場は凍りつき過ぎた。ついでに言えば、場所がゲレンデなだけに寒さも倍増な気がする。とか、そんな馬鹿なことを考えている場合じゃないだろ俺。琉夏は一人突っ込みを繰り返しながら、泳がせる視線を美奈子に向ける勇気はなかった。スキーやスノーボードを楽しむ声が、妙に遠く聞こえる。さっきまで自分たちもあの輪の中にいたはずなのに、たった一言の失言で弾き出されてしまったようだ。
「…余計なこといって、ごめんね」
最初に口を開いたのは、美奈子だった。彼女も彼女で琉夏を見ることはせず、足下に広がる雪原へと視線を落としている。無意識にスキーウエアのチャックをいじる指先を何となく眺めながら、琉夏はすぐに言葉を返せなかった。思わず顔を顰めて唇を引き結ぶ。調子に乗りすぎた俺が悪いはずなのに、先に謝られてしまっては立場がない。素直に「俺も悪かった、ごめん」といえば済む話だと、頭の片隅は分かっていた。が、なんだか妙に心の中の何かに引っかかっているのか、言えない。そもそも今日はずっとこんな調子なのだ。だからいつもよりハメを外し過ぎた。無茶な滑り方をしたのも自覚している。そうした自分を心配して「危ないからやめて」という彼女に、「好きなようにやらせろよ」なんて暴言を吐いてしまったのだ。
「…今日は帰るか」
結局口から出たのは謝罪ではなかった。美奈子は琉夏の提案にちいさく頷くだけで、先に歩き出した琉夏の後ろを黙って付いていてくる。気まずくしたのは自分なのに、居心地の悪さに思わず嘆息してしまう。何してるんだろう。何がしたいんだろう俺は。ゲレンデから降りて帰宅のバスに乗り込むまで、琉夏はずっと自分自身に問う。けれど明確の答えなど出ずに、ただだんまりを決め込むだけだった。時折、隣に座る美奈子が何か言いたそうな素振りをするのはわかったけれど、それさえも琉夏は気が付かないふりをした。
結局地元に到着するまで、二人は無言のままだった。当然その間に気まずさが解消されるはずもなく、居心地の悪い空気は続行中だ。
「…えっと、それじゃあ」
バスを降りて、美奈子わらったらしかった。らしいというのはその通りで、彼女が浮かべたはずの笑顔はひどくぎこちない。ついでにいえば黒目がちの目は今にも泣き出してしまいそうで、彼女自身もそれを察したらしく別れの言葉も惜しむように素早く身を翻した。小走りのように駆けだした背中を、思わず琉夏は追いかけた。身長云々の前に男女の差は大きい。スタートダッシュは遅れても、コンパスの差で数メートルもいかない距離はすぐに詰められた。手を伸ばせば届く距離に美奈子を捉え、琉夏は一瞬迷うものの彼女を捕まえて振り向かせる。驚いた表情の相手の視線とぶつかり、今度こそ先に口火を切ったのは琉夏だった。
「ゴメン」
言って、琉夏は大きく息を吸い込んだ。するともう一度ゴメン、と告げる。
「今日は調子に乗りすぎた。オマエの前でかっこつけたかっただけで、ケンカしたいわけじゃない」
「……うん」
琉夏の言葉に、美奈子は頷く。と、ちりりんと背後から自転車の錫が鳴らされる。琉夏は美奈子の手を引いて道の端によけると琉夏くん、とちいさな声で呼ばれた。その声に応えるように彼女を見れば、少しだけ困ったような、苦笑のような表情を浮かべていた。
「わたしも言い方が悪かったと思う。……けど、あんまり危ないことしないでほしい」
「うん」
「琉夏くんがケガしたら、嫌だよ」
「うん」
美奈子の言葉一つひとつに、琉夏は律儀に頷いてみせる。
「ゴメン」
「ううん、わたしも。ごめんね」
「だから、さ」
「うん?」
「もうちょい、時間いい? デートのやり直ししよう」
言う琉夏の提案に、美奈子はキョトンした目を瞬かせ、けれどすぐに破顔して頷いた。
その表情を見て、好きだなと改めて思う。いつも笑っていてほしいとも、思う。できればその笑顔が、自分のためであったならと考えて、ケンカの原因である一連の流れを思い出す。
本当は、美奈子を喜ばせたかっただけなのだ。ちょっと無理をしてでもすごいと笑い歓声を上げる美奈子を期待していたはずなのに、待ち受けていたのは困ったような顔だった。だから、咄嗟に口をついてあんなひどい言葉を投げた。あまりにも自分勝手過ぎる思考だ。
琉夏は隣を歩く美奈子の横顔をそっと伺い、胸中でのみもう一度謝罪の言葉を繰り返した。
[6回]
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